ラベル:短い話
2013年01月05日
ライオンのいる浴室
弟が言うには、飼育係が帰ってしまったためだったか、ライオンをここに置いておくしかないのだそうである。刺激しなければ人は襲わないからと弟は、ぼくと背中合わせのままで友達に電話をかけ始めた。最近買ったという防水式のだろう。なるほどライオンは人が良さそうで、笑い顔こそ気味悪いが、お腹をあお向けにしてまるで安心しきっているようすだ。ライオンがじゃれかかって来た。刺激が悪いなら逃げ出すわけにも行かず、どうしたものかと思う。すでにライオンはなかばあお向いたぼくの上にのしかかり、彼さえその気なら。しかし、彼はニヤニヤ笑っているだけで、食べる気も殺す気もまるでないようなのだった。ライオンがぼくの顔をしげしげと見つめる。床屋のようにぼくの首をひねり、右の耳を見て、次は……だめだ、左を見てはいけない。左にはぼくが昔よくからかわれたホクロがあるのだ。ライオンは力ずくに左耳を見る。表情が変わった。妙な顔をした後で、なんでそうなのかぼくを非難するような顔つきだ。仕方がないのに。いよいよライオンの爪がぼくのわき腹に突き立てられる。なんて長い爪だ。まるで猛禽類のような鉤爪だ。そういえば、ぼくのホクロはちょうど鉄砲玉の痕くらいの大きさなのだった。
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